歴代プロデューサーからのメッセージ

小林景

こんにちは、2代目プロデューサーの小林景です。

湾岸マキシ10周年ということで、★マエダ★から「なんかコメント書いて!」と仕事の依頼。
湾岸は自分にとっても非常ーーーーーに思い入れ深いタイトルなので、思い出話なんかを書かせていただきます。

自分は2000年から2009年くらいまで湾岸ミッドナイトに関わっていて、
無印湾岸と湾岸Rではディレクターを、湾岸マキシ1~3ではプロデュ-サーを務めていました。
ディレクター、プロデューサーと言っても、当時はバリバリプランナーとして作業をしていましたねぇ~。
何しろ無印湾岸と湾岸Rでは小山と小林だけの2人プロジェクトでしたし、湾岸マキシも4人で作ってましたから。。。

湾岸マキシを立ち上げる時の最初の企画会議は長かったですね~。
★マエダ★、たけちゅう、うちだま、自分という湾岸初期メンバーの4人で、毎日朝から晩まで会議室にこもって、湾岸のコース設定・チューニング・カード・称号・ストーリーなどを順番に煮詰めていきました。
確か2ヶ月くらいぶっ通しでやってたような気がします。
湾岸マキシのゲームの骨格ってその時からあまり変わっていないんですよね。それだけよく練られていたって事だと思います。
あの時の集中力はすごかったですねぇー。

それから、ストーリーモードのシナリオ作り!
シナリオというのは原作コミックをベースにして、キャラのセリフやカットインを構成しなおして作っていくのですが、これも地道で大変な作業だっただけに思い入れたっぷりです。
特にマキシ2の最終話。ここは自分の担当だったんですが、2話構成という凝ったつくりにチャレンジしました。たけちゅうにもかっこいい演出をつけてもらって、最終話にふさわしい鳥肌モンのストーリーになったんじゃないかと自画自賛しているんですが・・・昔を知っている人、いかがでした?

さらに自分はBGMも担当していました。湾岸といえば「古代トランス」というくらい。BGMは欠かせないですよね。
ここでもとことんこだわりました。ゲーム機にコインを入れてからゲームオーバーになるまで、いかにしてプレイヤーさんの心を揺さぶるかを考えて、(個人的には「涙を流させる!」を目標にしてました)レース中のBGMだけでなく、エントリー・セレクトからリザルトまで、古代祐三氏と話し合いながらBGMの方向性を固めていきました。
古代祐三氏とは高校の同級生だったということもあり(同じクラスの出席番号1番違い!彼の後ろの席が自分でした)お互いに遠慮なく意見を言い合えたのがよかったんじゃないかと思います。

一番つらかったのは、湾岸マキシ3のマスター時期ですね~。
バグがなかなか取れずに、3ヶ月間プロジェクトチームみんなでほぼ会社に住んでいたような状態でした。
昼間はデバッガーさんに任せて、バグリストが出てきたら夜通しでバグ対策をするという毎日でした。体力的にもかなり無茶をしました。若かったからできたことですね。
ついでにいうと、会社には幽霊の噂もあったりしたので、深夜の保健室で仮眠を取るのは結構怖かったです。。。。(^^;

そういえば、あの頃はクルマライフがものすごく充実していました。
当時は自分も★マエダ★も、家族用のクルマじゃなくて、ちゃんと自分専用の戦闘機を持っていて、それで毎日通勤していました。
なので、会社帰りにフラッと首都高に乗り、深夜のC1を安全なスピードで流したり・・・

取材のために昼間から箱根に走りに行って、★マエダ★と「箱根往路・復路」を安全なスピードで流したり・・・

年に数回は、車の限界挙動を学ぶために、プロジェクトチームでサーキット走行会やレーシングカートに乗りに行って、
安全なスピードで流したり・・・

イヤー、あの頃は楽しかったですね~・・・・・(遠い目)

今ではクルマといえばファミリーカー。車選びの基準は人がゆったり座れるか、ロードバイクを積みやすいか、です。
クルマに乗るのは月に数回くらいですね。
でも、クルマに対する情熱の火は心の奥でまだくすぶっているんですよ。
あ~、またスポーツカーに乗りたいな~!
・・・・というおっさんプレイヤーに向けてマエダくん、新しいレースゲーム作ってよ~!!

おっと、話がそれました。。。。
・・・ということで、湾岸シリーズは自分のとって思い出いっぱいの特別なタイトルです。

湾岸マキシが永遠の定番レースゲームとして多くのプレイヤーさんに愛され続けるよう、これからも開発スタッフ一同さらに精進していきます。
みなさま、これからも湾岸マキシの応援をよろしくお願いしますー!!